2014年5月1日木曜日

4月の足跡

またまた早いもので1ヶ月が過ぎた。
この1月も大分早かった…。
4月1日に日銀前を歩いたときは、こう(左)だったが、
5月1日の今日に日銀前を歩いたときは、こう(右)だった。





この間にもおばあちゃんの自立型老人ホームからの帰還というメインイベントがあったので、家の掃除・整理ばかりしていた。
このおばあちゃんが物持ちがいいので、色んなものが出てくる。
うちには金目のものはないが、
自分たちが小さい頃に書いた手紙だったり、
お父さんの小学校の通知表だったり、
戦時中に両国から千葉に向かい食料をもらいに行くためのリュックだったり。
(ここまでくると、もう捨てられない。)
この家の歴史は、分かる限り100年程度と浅いけど、
生きて来た証、人とつながりがあった証が十分にある。

90歳になるおばあちゃんの口癖は、
「友達はみんな死んじゃった。」と「私もこの家で死ねる。」
(しかしみんなといっても、全員ではなく、97%くらいだ。)
同時代に生きた人を送り出してきたおばあちゃんの気持ちと香典代は、
私には想像だにつかない。
そうはいっても、一家で一番米を食べる体重36キロの彼女は、
私たちの想像を超えるほどたくましく、
大好きなダルビッシュの記事を顔より大きいレンズを持って楽しげに読んでいる。
私が見送ることになるのを最近少しずつ考える。

さて、
引越しの日は香典返しのギフトカタログで頼んだ壱岐牛600グラムをすき焼きにして
姉夫婦と一緒に引越し祝い。

600グラムのお肉は山盛りあった。

私のことはといえば、
ほとんど中央区からでるわけもなく、情報収集活動をしており、
今月も希望する就職先は発見できぬまま、
久しぶりにあったまるちゃんと佐々木先生と新宿・どん底で飲む。
人生まだ「どん底」ではないよ。
そして、iMac、MacbookPro、iPadというappleのモニタに囲まれ、
目標のためにパソコンと格闘しつつ、
先月から続く夜のウォーキングで、地元のゆーちゃんと合流してみたり。
私たちは橋に魅了されることとなる…。(だろう)

青いのは永代橋
インダストリアルスタイルの豊海橋

永代橋から豊海橋を見たら、屋形船も。




















ついでに昨日面白いバスを見た。→→→


どこ行きなのかとはてながいっぱいだったが、
次の瞬間、隣の表示を見ると「水天宮」。ほぉ〜ここで納得。
現在、10数階だての水天宮ビルを建設中のため、
仮設水天宮までの臨時シャトルバス。
このネーミングにはまいった!!
さすが水天宮さまさまです。

5月は実りの多い月になる予感だが、
子宝…はまだまだだな。